銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

中学校その3

 小学校高学年のころから、母は冬(11月〜3月)になると、寒天の釜炊きに毎日出るようになった。昼に釜炊き用の薪やしばを集め、夜はそれを燃やして釜炊きをするのである。釜炊きは、夕方午後6時ころから炊き始め、終わって家に帰ってくるのは午後9時半ころであった。
 それで、家計を助けていたのである。私も何度も行ったが、真夏のように暑いところで、薪をくべている母がいた。釜の前にサツマイモを置いておくと、30分もしないうちにサツマイモが焼けた。それくらい暑いのである。
 去年の紅白歌合戦で、三輪明宏が「ヨイトマケの唄」を歌っていたが、歌を聞きながら母のことを思い出して泣いた。母は、本当に良く働いた。そして、父と共に、私たちを育て上げてくれたのである。父母は平成13年に死んだが、今年13回忌を迎える。

 午後9時半から母に夕食の支度をさせるのは可哀想なので、自然と、私が夕食の支度をするようになった。
 井戸の水は身を切るように冷たい。しかし、母のことを思うと、これくらいのことは、して当然と思った。水の中に手を浸けて、手の甲が隠れるくらいが丁度良い水加減であった。
 ご飯を釜で炊いてから、おかずも作った。何を作ったかは余り記憶にないが、茶わん蒸しや煮物、すき焼きなどが多かったと思う。
 2月ころになると、右手にシモヤケができて、最初は痒く、後には破れた。
 中学1年生のとき、お金持ちの男の子と一緒のクラスになったが、「田中は、シモヤケができるほど、勉強してるから、成績がええねんや」と何度か言われたが、毎晩の夕食の支度をしていることを言えずに、悔しい思いをした。