能登大地震と能登一人旅の思い出
私のこれまで書いてきたブログは、①「銀座ファースト法律事務所の公式ブログ」と②「弁護士田中清のブログ」(「雑記帳」に名前を変更)と③「弁護士田中清のメモ」(「つぶやき」に名前を変更)に分かれます。これらのブログは、現在ほとんど更新されておりませんが、今年の年賀状で、親しい友人から、「最近ブログが更新されていないので淋しい。また、更新してください。」とのリクエストがありました。
今年の正月に、能登大地震があり、そのことで能登の曽々木海岸(輪島の東側の海岸)のことを思い出しました。
③の大学49「能登一人旅」の項には、次のような記載があります。
「曽々木海岸の岸壁の上を歩いているとき、岸壁から1m下の砂浜に落ち、岩で足を切ったが、軽傷であり、旅行を続けるには何の問題もなかった。しばらく歩いていたとき、1軒の民家があり、そこで出会った年配の女性が『あらぁ、足を切ったの?今、消毒をしてあげるからね』と声を掛けてくれた。彼女は、親切にオキシフルで消毒をし、切れた個所に大きな絆創膏を貼ってくれ、「これは、予備に使いなさい」と3枚くらい予備の絆創膏をくれた。さらに彼女は、「これ、食べる?」と言って、青リンゴを袋に入れてくれた。袋の中には6個くらいの青リンゴが入っていた。何と能登の人はやさしいのだろう。本当に感激した。」
この時期、私は大学4年生で、司法試験を受けていた最中のことです。
昭和43年7月上旬に、論文式試験が終わったので、8月上旬に能登一人旅を計画し、石川県の羽咋、能登金剛、輪島、千枚田、曽々木海岸、禄剛崎、珠洲、見附島などを回ったことはよく覚えています。
中でも上記の曽々木海岸での親切な女性のことは、鮮明に記憶に残っており、その温かいお人柄と共に浮かんでくるのです。
彼女は、当時40台半ばくらいでしたから、今では100歳を超えていらっしゃるかもしれません。
彼女の名前も住所も分かりませんが、このブログで、感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
「今回の能登大地震は大変でしたね。私は、曽々木海岸で足を切って、あなたに治療をしてもらい、青リンゴをもらった学生です。あのときは、ありがとうございました。今回の地震にうちかって、いつまでもお元気でお過ごしください。」
弁護士 田中 清(銀座ファースト法律事務所)