銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

2017-01-01から1年間の記事一覧

尼崎18 橋本支部長から鈴木支部長へ

昭和50年10月、尼崎支部長が橋本支部長から鈴木支部長に交替になりました。私が裁判官に任官して5年目のことです。 鈴木支部長も京都地裁の刑事部のベテラン裁判長で、学生刑事事件や労働刑事事件を数多く経験された方です。 私は、刑事合議部の左陪席…

尼崎17 ある本庁刑事合議事件 その2

この事件で、私が学んだ点は、「刑事の起訴状や判決の一文記載の意味は正確性を期するためであり、主語を省略しないためである。主語が不明確であれば、被告人に刑罰を科することができない。」ということです。 したがって、「主語を必ず入れるという命題の…

尼崎16 ある本庁刑事合議事件その1

神戸地裁本庁で経験した、ある刑事合議事件の話です。民事合議事件については、2件の判決を書き上げたことで、私の役割は終わったはずでした。 しかし、昭和50年8月ころ、橋本尼崎支部長から、「田中さん。本庁刑事部からも填補の要請が来ており、週1回…

尼崎15 2つの大事件その2

本庁合議部からもらった2つ目の事件は、ゴルフ場造成中に集中豪雨があり、ゴルフ場の土砂が土石流となって、ふもとの旅館を押し流した事件でした。ゴルフ場も旅館も誰でもご存知の有名な場所ですので、このブログでは仮名にすることにしましょう。 記録は段…

尼崎14 2つの大事件その1

2つの大事件の1つは、かなり大きな船の瑕疵の事件でした。 記録は段ボール箱で7箱あり、官舎に送ってもらったら、6畳の部屋(本や荷物がありますので、実質4畳半の部屋)が一杯になった覚えがあります。 橋本支部長から「刑事合議事件の開廷日以外は、宅…

尼崎14

尼崎13 本庁民事合議事件のてん補

昭和50年6月ころだったでしょうか。 橋本支部長から「本庁から民事合議事件のてん補の要請があったので、田中さん、行ってもらえませんか。」と言われました。私は、2つ返事で「行かせていただきます。」と答えていました。民事の合議事件は、金沢地裁で…

尼崎12 刑事合議事件と民事合議事件

尼崎2年目の仕事で命じられたのは、刑事合議事件の左陪席と民事合議事件の左陪席でした。 ちなみに、裁判所の法廷に座る偉い人の順番は、①真ん中に座る裁判長、②裁判長の右に座る右陪席、③裁判長の左に座る左陪席の順番になります。この左右は、傍聴席から…

尼崎その11 少年事件の終了

尼崎で少年事件を担当していたのは、私が26歳から27歳に掛けてのころです。私も前髪を垂らした少年のような風貌でしたし、大阪弁でしたので、少年とは直ぐに打ち解け、少年の方から親しく話をしてくれのが印象的です。 少年っぽい裁判官なのに少年事件で…

尼崎その10 裁判官と調査官の役割

少年審判に携わるのは、裁判官、裁判所調査官、裁判所書記官の3種類の職があります。このうち、裁判所書記官は、調書を作ったり、記録を作成管理する仕事ですので、直接少年に係るのは、裁判官と裁判所調査官です。裁判所調査官は、罪を犯した少年と面接し…

尼崎その9 少年院送致

少年審判で、一番重い処分は、少年院送致です。 その少年院送致でも、13歳以下は、教護院送致、16歳以下は、初等少年院、16歳から20歳までは、中等少年院に各送致するのが通常の例でした。 さらに、初等少年院や中等少年院に送致しても、少年が改善…

尼崎その8   少年審判

すべての犯罪を犯した少年については、最初に家庭裁判所に送付されます。 その中で、殺人、放火、強盗殺人などを犯した少年で、少年審判では処断しないことが相当であると思われる少年については、検察官送致(逆走)をします。 逆走した少年でも、犯行時1…

番外 淵の河の岩

今年(平成29年)7月、福岡県朝倉市、大分県日田市に梅雨末期の集中豪雨の被害がありました。 あの情景をみながら、私の家の前の川が今にも溢れそうになったことを思い出しました。 私の家の目の前には、横幅約20mの川(芥川)があり、その川が氾濫しそうに…

尼崎その7 保護司会総会

毎年1月には、保護司会の新年会がありました。 書記官の話によると、毎年ここでは尼崎支部長と少年係の裁判官が出席し、挨拶をしなければならないということでしたが、どの程度の人が来て、どのような挨拶をしたらよいのか、さっぱり分かりませんでした。 …

尼崎その6 出張交通審判

尼崎支部の管轄地域は、尼崎(当時約50万人)、西宮(当時約45万人)、芦屋(当時約8万人)でした。このように、尼崎管内に約100万人の人が居住しており、管内において犯罪を犯した少年は、私が1人で処分を決めることになっていました。 交通事件も…

尼崎その5 雪見酒

神戸家裁尼崎支部は、2人の裁判官で事件を処理していました。 家事事件は、私より7期先輩の庵前重和裁判官が担当され、そして、少年事件は、私の担当です。 家裁には、このほかに、裁判所調査官、裁判所書記官、事務官などが居ます。 いつも、40坪くらい…

尼崎その4 少年事件3

集団審判で、冒頭に、少年鑑別所送致の少年がいないと、やや、少年たちの緊張感が薄れます。スピード違反を犯した少年に、「スピード違反はなぜしてはいけないのか」と聞きますと、「なぜ悪いんですか、僕は悪くないと思います。僕は、運転がうまいし、誰に…

尼崎その3 少年事件2

尼崎の少年事件の2000件のうちには交通事件が半数占めていました。 なお、少年事件は、判事補が単独で裁判できます(少年法4条)ので、当時27歳の私一人で尼崎支部の少年事件を全部処理していたのです。何しろ、若いので、また、金沢の裁判所書記官の…

尼崎その2 少年事件1

私が神戸家裁尼崎支部に赴任したのは、昭和49年4月上旬でした。 同期の山田裁判官から、「あなたは、少年事件だよ」と聞かされていたので、金沢地裁時代に少年法の本を読んでいました。 少年事件は、刑事事件を犯した少年の処遇を決める仕事です。 少年は…

尼崎その1 引っ越し

任地は、神戸家裁尼崎支部兼神戸地裁尼崎支部となりましたが、裁判所宿舎は大阪府池田市五月丘と決まりました。 9割は、大阪地裁の裁判官で、あと1割が大阪高裁・大阪家裁の裁判官で、尼崎勤務は私1人でした。 私の家族は、夫婦と就学前の子供2人で、宿…

金沢37  金沢のまとめ

金沢は、私にとって、第2の故郷というべきすばらしいところでした。 風光明媚であり、自然がいっぱい残っています。食べ物も、採れたての野菜や魚など、本当においしいと思いました。海もあれば、山もあり、そして、片町や香林坊のように都会の雰囲気も楽し…

金沢36 金沢との別れ

金沢地裁もあっという間に3年が過ぎ、次は「神戸家庭裁判所尼崎支部判事補兼神戸地方庭裁判所尼崎支部判事補」という内示を受けました。 神戸家庭裁判所が前に来ているのは、家裁が本務庁という意味ですが、要するに家裁から給料をもらうという意味です。 …

金沢35 長男の誕生と長女との一時の別れ

昭和48年5月に長男が誕生しました。 長女の誕生から1年5か月後ですので、学年は2つ離れていますが、実質的には年子になります。 妻には大変な苦労を掛けたと思います。2人とも予想をしていない誕生でしたが、今から思えば授かった素晴らしい生命だと…

金沢34 暖冬

金沢の最初の冬は、暖冬でした。 職員の方から「金沢の冬は、毎日が雪か雨だから、覚悟しておいてください。」と何度も言われました。しかし、最初の年は記録的な暖冬で、余り雪も降りませんでした。 長女のおむつは、貸しおむつにしていたので、洗濯と乾燥…