尼崎その7 保護司会総会
毎年1月には、保護司会の新年会がありました。
書記官の話によると、毎年ここでは尼崎支部長と少年係の裁判官が出席し、挨拶をしなければならないということでしたが、どの程度の人が来て、どのような挨拶をしたらよいのか、さっぱり分かりませんでした。
昭和50年1月、私は、会場に着いてみて初めてびっくりしました。大きな体育館のような会場にびっしりと保護司さんが来ているのです。おそらくざっと数えても、500人くらいの人がいるでしょう。
保護司さんの仕事は、少年が保護観察に付された場合の教育指導、試験観察に付された場合の教育指導、少年が少年院を退院した場合の教育指導をご依頼していました。
それだけに、保護司さんの親身になった教育指導によって、少年が更生するきっかけになることも少なくないのです。保護司さんの仕事は、ほとんどボランティアです。
私は、その当時27歳、自分の親父以上の約500名の保護司さんを相手に挨拶をするのは、非常につらい思い出でした。
確か「保護司さんの職務の重要性と、その意義、保護司さんのお蔭で少年が更生する」というような言葉を述べた記憶ですが、つらい思い出だったという記憶しかありません。
それに比較すると失礼ですが、橋本尼崎支部長の挨拶が落ち着いていて素晴らしく、自分の挨拶と比較して恥ずかしい思いをした思い出があります。
橋本支部長は、刑事事件の大ベテラン裁判官ですが、「刑事事件の調書を読むとき、検察官の調書よりも、警察官の調書の方が分かりやすいことがあります。川柳に、『下女の文(フミ) あたかも話し するごとく』というのがありますが、正にそういうことがあるのです。」とおっしゃるのです。
「なるほど、このような川柳を引きながら話をすると面白いなあ」と思い、私の至らなさを恥じ入ったものです。
弁護士法人銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清