銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

金沢35 長男の誕生と長女との一時の別れ

 昭和48年5月に長男が誕生しました。
 長女の誕生から1年5か月後ですので、学年は2つ離れていますが、実質的には年子になります。
 妻には大変な苦労を掛けたと思います。2人とも予想をしていない誕生でしたが、今から思えば授かった素晴らしい生命だと思います。
 長男の予定日は、5月23日でしたが、1か月前の4月23日に、お客さまが立て続けに来たりして、妻が少し無理をしたので、急に産気づいて、早産の危険があり、入院を余儀なくされました。
急遽、妻の姉に来てもらって、長女を預かってもらい、しばらくの間夫婦水入らずの生活でした。病院には、1週間ほど入院しましたが、幸い早産は免れ、5月23日に3200グラムの元気な男の子が生まれました。
 丁度、長男が生まれた日は、大相撲の北の富士と輪島との決勝戦で、この勝負を見てから病院に行こうと思っていました。
 輪島は、石川県出身の相撲取りでしたので、金沢地方裁判所では、ほとんど全員が輪島を応援していました。私も、輪島を応援していましたが、輪島が勝ち、優勝することができ、横綱は確実だと放送しておりました。その放送を見終わって直ぐに病院に行きましたが、既に長男は生まれていて、妻からは、「今頃来たの?随分、痛くて痛くて大変だったわよ。」と言われ、「ごめん、ごめん」と言って、ひたすら謝りました。
 まさか、「相撲をみていたのでごめん」とは言えないのがつらいところでした。

 それから2か月、妻が、長女と長男の面倒を見るのが体力的無理だと思われたので、妻の実家に長女を預かってもらうことにしました。
 長女を預かってもらって4か月後、妻の実家から電話があり、「陽子が寂しがって、寂しがって、泣いてばかりで、もう無理よ。金沢に返さざるを得ないわよ」ということでした。私は、「分かりました。長い間お世話になりました。明日、午後6時ころ米原駅で、陽子を引き取ります。本当に長い間ありがとうございました。」と言って長女を引き取ることにしました。
 次の日の午後6時ころ、米原駅で義姉に抱かれた陽子が私の姿を見て、本当に嬉しそうに私の胸に飛び込んできました。
 生後1年7箇月で、まだ言葉もろくに言えない長女でしたが、米原から金沢まで私の胸から離れようとしなかったので、「本当に寂しかったんだな」と思いました。
 このとき、私は、「どんなことがあっても、子供は離してはいけないんだな。」と思いました。
 自宅に帰ったとき、妻の姿を見て本当に嬉しそうに、妻の胸に飛び込みました。
 そして、しばらく妻の胸の中に居たあと、自分のおもちゃのところに行き、遊び始めました。
 妻と私は、しみじみと「どんなことがあっても、子供は離さないようにしようね。」と確認し合いました。

  弁護士法人銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清