銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

出生その14 寒天作り

村の冬は、寒天の干し場のカセ打ちから始まる。
干し場は、収穫が終わった田んぼであり、そこにカセ(杭)を打ち、竹竿を渡し、簀子を敷いて干し場を作るのである。干し場は、地面から40〜50センチメートルの高さにある。
村は、高槻駅から一山越えた盆地のため、冬は冷込みが厳しい。そして、地中海性気候のため、雪や雨はほとんど降らない。したがって、江戸時代のころから、村では寒天作りが始まったと言われる。
天草(てんぐさ)を巨大な釜に入れてぐつぐつと煮て、煮え上がったら、その煮汁を木箱に流し込む。それが冷えると固まってトコロテン(心太)ができる。それを「押出し器」に入れられる程度に切り、戸外の寒天干し場の簀子の上に押出し器を使って並べていく。よく、「ところてん方式」などというが、「後ろから押されて、何も努力せずに前に進める事」をいうのだそうである。「ところてん式に大学に行く」などと使う。この押出し器を発明したのは、村の先祖の宮田半兵衛氏だというが、真偽のほどは知らない。しかし、それほど昔から、村では寒天作りが盛んに行われていたのである。そして、「ところてん方式」なる熟語まで誕生しているのだから驚きである。
天草を煮たり、木箱に並べたりするところを「天場」(てんば)という。寒天作りは、丹波(篠山方面)から出稼ぎの人が来て作るので、私たち村の人は、その人たちのことを「丹波さん」と呼んでいた。「丹波さん」は、天場で寝起きし、棟梁の指示に従って寒天作りをしていた。
 私の中学1年生のときの短歌に次の2首がある。

 ◎出てみれば、木枯らし吹きて寒天の
          カセ打つ音ぞ、遠く聞こゆる。
   ※冒頭の寒天の干し場のカセ打ちの音である。
 ◎まだ暗き 夜明けの空に立ち込める
          天場の煙 霜を溶かしつ
   ※夜明けの天場の煙が霜を溶かしている様子である。

 未熟な短歌であるが、中学1年生ということで、お許しいただきたい。この2首は、他3首と共に、高槻市の中学生文芸集に取り上げられたものである。私が応募したものではないが、国語の先生が勝手に応募したものである。このころ、斎藤茂吉や佐々木信綱など、15名くらいの歌人とその短歌が国語の教科書に掲載されていた。私は、そのことに興味を持って、短歌を自分でも作ってみようと考えて、その冬に作って、冬休みの自由研究の宿題として、日記と共に提出した。しかし、私は、それ以来、短歌はほとんど作っていない。俳句や川柳に興味をもって没頭したのは中学生後半から高校生のときである。
さて、話はそれたが、心太を干し場に並べてから1週間ほど干すと、スーパーで売っているような糸寒天が出来上がる。私の村の寒天は、細い糸寒天であるが、全国的な寒天の産地である岐阜県や長野県はもっと寒さが厳しいので、太い棒寒天だそうである。そこでは、押出し器を使わない。小学生当時、寒天の生産量の1位は長野県、2位は岐阜県、3位は大阪府と聞いた。その生産量の相当部分を私の村が生産していたと聞くが、これも兄が言っていただけで真偽のほどは知らない。
 ともかく、地球温暖化で良質の寒天ができなくなったこと、寒天作りの後継者が居なくなったことで、現在、村では寒天作りをしている農家は無くなった。