銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

出生その16 三好城

村の南側に三好山があり、古い山城跡があった。これが芥川山城と言われている城跡であるが、私たちは、三好城と呼んでいた。室町時代末期に三好長慶父子が城主であったためと聞いている。ウィキペディアで「芥川山城」又は「三好城」で引くと解説が載っている。
三好城は、北、西、南を蛇行する芥川(淀川の支流)に囲まれており、芥川に面しているところは、急峻な崖であり、天然の要塞となっている。
標高182メートルの山頂の城跡は、10ヘクタールもあろうかと思われる広い平地になっており、笹や葛の葉が一面を覆っている。織田信長に攻められて落城したと聞いていた。
城跡に登る道は1つしかなかった。次兄と一緒に探検し、何度も通って、やっと山頂に通じるケモノ道を発見した。山頂には大きな桜の木があり、兄とその木に登って城跡や遠く大阪方面を眺めたのが懐かしい思い出である。

 春高楼の花の宴 めぐる盃影さして 
千代の松枝分け出でし 昔の光今いずこ

土井晩翠作詞、滝廉太郎作曲の「荒城の月」の歌がつい口に出る。私にとって「荒城の月」は、三好山の城跡そのものである。
かつて、ここには多くの武士が住んでいたのであろう。春にはこの桜の花を愛でながら、酒を酌み交わしたのかもしれない。しかし、今では人影もなく、山頂に登る道さえ分からない。
城山部落は、私たちの村の一部だった。昔は、村の祭りにも参加していたという。
山頂から下りて東に進むと池があり、その池に面してボロボロになった廃屋があった。池は、「城山の池」と呼んでおり、ザリガニが沢山いた。蛙の足の皮をむいて糸にくくりつけてたらすと直ぐにザリガニが釣れた。1時間も釣っていると、バケツ一杯のザリガニが捕れた。しかし、私たちの村ではザリガニを食べる風習が無かったので、再び池に逃がして帰った。
城山周辺の山には、50坪から100坪の平地が沢山あった。きっと櫓が建っていたか、家来の屋敷があったのかもしれない。しかし、今では、クヌギやハハソの雑木林になっている。
城山の池から西に進むと林の中に小さな池があり、瓢箪の形をしていたので、瓢箪池と呼んでいた。瓢箪池のほとりに20基ほどの墓があったが、誰も祀っている様子はなかった。墓には寛永安政の文字があったので、江戸時代の墓かと思った。