銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

小学校低学年その5 骨折

 自転車の台乗りができるようになって、毎日のように自転車に乗って遊ぶようになった。
 今のように、自動車やトラックが村をひっきりなしに走ることは稀だった。それでも、1日に数台は走っていたように思う。バタコというバタバタという音がする3輪自動車が比較的多かったように思うが、トラックも時々走っていた。
 ある日の夕方、木枯らしの吹く寒い日だった。自転車に台乗りをしていたとき、後ろから急にトラックの音がした。慌てて降りようとしたとき、バランスを失って天場(寒天工場)のコンクリートの上に倒れこんだ。痛さはそれほど感じなかったが、左腕がブランとして上に上がらない。子供心に腕が折れたと直感した。右手だけで自転車を押して家に帰ったが、家には誰も居なかった。
 きっと山に割木の木を取りに行ったに違いない。そう思って、私は、山に向かって歩いて行った。もう薄暗く、夕闇が迫ろうとしていた。30分ほど歩いたとき、リヤカーを押す父母の姿が見えた。
 「お母ちゃん。手を折った!」と訴えると、母は直ぐに「えっ、どないしたん」と言って左手を診てくれた。そのころは段々と左手が痛くなっていた。
 父母は、私を連れて直ぐに家に帰り、母は、身支度をしてバスに乗って高槻の町へ出かけた。母の記憶にある接骨医のところを訪ねたが休みだった。
 母は、途方に暮れたが、直ぐに思い直して阪急京都線に乗り、大阪市東淀川区柴島の接骨医を訪ね、そこで骨を接ぎ、ギブスで固めた。
 接骨医は、紙に絵を描いて、「左腕の上腕部のすぐ上のところが折れたので、接ぎました」と説明し、「1か月ほど通ってもらわなくてはならない」と告げた。
 その後、接骨医は、「強い子だねぇ。こんなに小さい子なら、痛くて泣くのにねぇ」と母に話しかけていたが、お世辞と分かっていても悪い気はしなかった。
 自宅には、終バスで帰り、午後10時ころ、家に着いた。