銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

小学校低学年その6 通院

 それから、1人で毎日の通院が始まった。
 バスで国鉄高槻駅まで行き、そこから阪急高槻市駅まで10分ほど歩く。阪急高槻市駅から急行で淡路駅まで行き、そこで千里線に乗り換えて柴島の接骨医まで行く。片道は優に1時間は掛かった。
 通院といっても、左関節を温めて外に伸ばしたり、内に畳んだりすることを何回か繰り返すだけである。ギブスで固定した分、関節が固まってしまって、伸び縮みさせることが飛び上るほど痛かった。
 それでも、2週間は通ったが、母は、「伸び縮みを何回か繰り返すだけなら、家でもできるのではないか」と言い、通院を止めた。それからは、母に、毎日、熱したタオルを関節に当て、伸び縮みをしてもらった。
 通院を止めたのは、家計上の理由もある。家は、5反百姓の専業農家だったので、現金収入がほとんどなく、臨時出費である交通費や通院医療費の負担が重くのしかかっていたのである。それは、私にも重い精神的負担になっていた。
 私が、家の手伝いをして1日5円のお小遣いをもらっていたことは、「割木」の項で述べたが、小学校2年生で700円ほど貯まっていた。骨折から1か月ほど経過したころ、私は、母に対し、「これが、僕が貯めていたお小遣いの全部や。今度の怪我で、使ったお金の一部に当ててほしい」と申し出た。母は、ちょっと微笑んで「分かった。おおきに」とだけ言って受け取った。今思い出しても、臨時の出費で、余程家計が苦しかったのではないかと思う。

 2か月もすれば、普通に関節の伸び縮みができるようになったが、腕は、やや曲がってくっついてしまったようである。これが、私のコンプレックスの1つになったが、一応きちんとくっついたので、腕相撲でも右腕よりも骨折した左腕の方が強くなった。