銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

小学校低学年その7 学芸会と熱血先生

 小学校2年生の学芸会は、「あちゃ谷のどんぐりひろい」だった。
 小学校1年生と2年生の担任は、田中先生であり、同じ村に住んでいる先生だった。
大学を卒業して3年目の先生で小学校5年生と6年生の姉のクラスを担任し、それに続いて24歳で小学校1年生になった私のクラスの担任になった。今でいう熱血先生で、子供たちを思い切り可愛がり、全力で指導していただいた。
 小学校2年生の秋に、遠足で「あちゃ谷」という神峯山寺に近い谷にどんぐり拾いに出かけた。田中先生は、そのときの遠足の思い出から自分で脚本を書き、28名のクラス全員が参加する寸劇に仕立て上げた。
 田中先生は、誰かが明確な主役で、誰かが劇に全く出られないということを避けたかったのだろうと、子供ながらに感じていた。
 学芸会は、翌年の2月末ころだったと思う。私は、骨折で、「あちゃ谷のどんぐりひろい」の劇に参加しなかったと思う。しかし、学芸会で「ふくろう」の話の朗読を先生から指示され、ギブス姿で、学芸会に参加した記憶がある。
 1年生のときに、田中先生が母に「清ちゃんは、2学年上の知能がある」とおっしゃったことが、母には相当嬉しかったらしく、同じことを何度か聞いた。

 その田中先生も、今年の6月に80歳で他界された。最後まで私たちのクラスのことを気に掛けられ、本年5月に「もう、末期の癌で、長くはない。同窓会を開いてほしい。開いてくれたら這うてでも行く」とおっしゃっていたという。同窓生のY.S君から連絡を受けて、私も東京から参加した。場所は、現在は廃校となり、公民館として使っている原分校である。しかし、田中先生の病状は重く、とうとう出席されなかった。このときは、28名中16名が参加するという盛会であった。死亡した者、病気などやむを得ず欠席の者が6名居たので、同窓会としては、約73%という驚異の出席率であり、熱血先生への感謝の気持ちを誰もが抱いていたことの証左だと思う。この会では、先生のことを主たる話題にしつつ、久しぶりの再会に話しがはずんだ。
 田中先生の訃報を聞いたのは、その2週間後だった。