銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

中学校その11 友情

 夏休みの終わりのころ、武者小路実篤の「友情」を読んだ。
 久美に対する失恋で傷ついていた時だけに、余りにもタイミングが良く、私の心に深く残った。
 野島は、杉子が好きになり、親友の大宮に打ち明ける。ところが、杉子は、大宮のことを好きになり、そのことを感じた大宮は、野島のことを慮って、わざと冷たく杉子を突き放す。そして、大宮は、このままでは杉子を好きになってしまいかねないと思い、ヨーロッパに行ってしまう。
 しかし、杉子は、野島ではなく大宮に恋心を抱いてしまい、大宮に恋を打ち明けるラブレターを何度も送る。その手紙の中で、野島と一緒になるくらいなら死んだ方がましだとか、野島からの愛は有難迷惑だ、とも打ち明けた。
 大宮は、とうとう杉子の愛を受け入れてしまい、杉子と相思相愛になる。
 大宮は、野島に対し、杉子の愛を受け入れた経緯を、杉子と大宮の手紙のやりとりを示すことで打ち明ける。

 私は、この「友情」に衝撃を受けた。なぜ、中学3年生の夏の終わりにこの本を手にしたのだろう。その奇妙な出会いに感激した。
 そしてその本が、余りにも私の置かれた境遇に似ていたからである。中村と久美と私、私の傷ついた心を奮い立たせたのは、小説の最期の一節である。
 「僕は、獅子だ。傷ついた孤独な獅子だ。そして吠える。君よ、仕事の上で決闘しよう。君の残酷な荒療治は僕の決心を固めてくれた。今後も僕は時々淋しいかもしれない。しかし、死んでも君たちには同情してもらいたくない。僕は一人で耐える。そしてその淋しさから何かを生む。僕も男だ。参り切りにはならない。君からもらったベートーフェンのマスクは石に叩きつけた。いつか山の上で君たちと握手する時があるかもしれない。しかしそれまでは君よ、二人は別々の道を歩こう。君よ、僕のことは心配しないでくれ。傷ついても僕は男だ。いつかは更に力強く起き上がるだろう。これが神から与えられた杯ならばともかく自分はそれをのみほさなければならない。」

 「僕は、獅子だ。傷ついた孤独な獅子だ。」の一節は、今もなお覚えている一節である。
 私は、「友情」を読んで深く感動し、いつまでも落ち込んでいてはいられないと思った。この「友情」が、失恋直後の夏休みの終わりころに与えられたのは、実に不思議である。
 野島、大宮、杉子と、私、中村、久美の関係は全く違う。私は、誰にも胸の内を話していないし、中村も何も知らない。ただ、久美が掻き回し、それに振り回されただけである。
 私は、今回の初恋を書くに当たって、最近、改めて「友情」を読んでみた。そして、50年前に読んだ感動をもう一度味わった。
 
 後日談ではあるが、高校2年生のころ、私は、中村に対し、「久美がお前のことを好きだったのは知っているのか」と聞いたことがある。「そうだよ。俺も参ったよ。迷惑だったよ」と言っていた。私は、それ以上、中村に久美のことを話すことはなかった。