銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

高校その9 修学旅行

 昭和38年4月、高校2年生に進級した。1年生のときも男女半々のクラスだったが、私は、文科系志望だったので、2年生のときも男女半々のクラスだった。これに対して、理科系志望の1組、2組は、男子ばかりのクラスであり、ほとんど女子ばかりのクラスもあった。
 2年生の6月には、九州への修学旅行があった。まず、神戸から関西汽船に乗って別府に向けて船旅をした。瀬戸内海の島々が次から次へと現れては消えていく。瀬戸内国立公園が日本最初の国立公園だと聞いてその美しさに納得がいく。文藝春秋の平尾は、船の甲板でフォークダンスを踊ったというが、全く記憶にない。
 別府に着いて、別府七地獄を回った。中でも海地獄、血の池地獄、竜巻地獄、坊主地獄は、今でも鮮明に目に浮かぶ。
 別府からやまなみハイウエイを通って阿蘇に着いた。阿蘇雄大な風景には本当に驚いた。外輪山と内輪山の間にある村々、火山のカルデラの中に人が住んでいるということ自体が信じられなかった。根子岳高岳、中岳、烏帽子岳杵島岳阿蘇五岳は、仏様の涅槃像に似ているとバスガイドの説明があった。確かにそう言われてみると、仏様が寝ている姿に見える。現在は中岳のみが噴火しているが、その荒涼とした火口の中央から立ち上る噴煙は、初めて見る火山の躍動を感じた。
 このとき、同級生の加藤が、後に「根子岳は、母の死顔に似たりけり」との俳句を詠んだと教えてくれた。加藤のお母さんは子供のころに死んだことをそれまでに加藤から聞いていた。その俳句には季語がないが、加藤が淡々と私に話したその俳句を、50年経った今でもはっきりと覚えている。
 加藤は、整った顔をした俳優のようなイケメンで、非常に大人しく、余り友達を作らなかった。しかし、なぜか私には良く話しかけ、バスを乗り継いで私の家にも遊びに来たことが何度かある。ミミズのような小さな字を書き、手紙も何度もくれた。加藤は、大学生のときに海で見知らぬ人を助けようとして溺れて死んでしまった。私も非常にショックを受けたが、あの優しい加藤らしい死に様だったかもしれないとも思った。
弁護士 田中 清(銀座ファースト法律事務所)