銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

高校12 俳句

 高校1年生から2年生に掛けて、俳句に夢中になった。新潮文庫の俳句歳時記を春、夏、秋、冬、新年の5冊を買い、暇なときには、何回も読み込んだ。
 私の村は、自然の宝庫である。歳時記に載っている自然現象や、花鳥草木は、ほとんど揃っていた。また、行事もほぼ理解できた。
 そのころ、1日に10句ないし20句は作っていたが、ほとんど覚えていない。その中で、雑誌「高校時代」の佳作に入選した
「電車動き 人去り行きぬ 秋燈下」
のみを覚えている。
 当時、4Sと呼ばれた、水原秋桜子山口誓子、高野素十、阿波野青畝が有名であったが、私は、水原秋桜子の美しい情景が浮かぶ俳句が特に好きだった。
 あるとき、実家に阿波野青畝門下の20名くらいの人が来て、句会を開いたことがあった。
 そのとき、句会のやりかた(参加者の句を1枚の紙にまとめて、全員が5作ずつ選ぶ、そして、その中で最も票数を獲得した者ベスト5を選ぶというものだった。)を学んだ。私が、俳句が好きだと申し出ると、「じゃあ、君も是非参加しなさい」ということで、参加させてもらったが、ベスト10にも入らず、誰かが1句選んでくれただけだった。あとで、一番偉い人から「君の俳句をみせてごらん」と言われ、差し出したところ、貴重な批評や添削をいただいた。俳句は、歳時記により、実に多くの知識を得ることができた。文章表現が豊かになり、古文の読解にも役に立ったと思う。
 しかし、高校3年生のある日を境に、私は、俳句を辞めてしまった。
 なぜ俳句を辞めてしまったのかという理由は、高校3年生の数学の授業だった。数学の先生が順列・組み合わせの授業のとき、17字で50音を組み合わせると何千兆の句の組み合わせができるが、「俳句はこれで終わりです」と言われたのが実にショックだった。何千兆の句の中には、「あああああ あああああああ あああああ」のような意味のない句も当然含まれている。「松島や ああ松島や 松島や」のような繰返しの句もあるだろう。あの数学の先生の「俳句はこれで終わりです」という言葉で、私は、次の日から俳句を作らなくなった。作る気がしなくなったと言ってもいいだろう。
 今になって思えば、ハ長調でドレミファソラシドの8つの組み合わせであれば、俳句よりも随分組み合わせは少ないだろう。「これで作曲は終わりです」ともいえないし、俳句も同じだろう。数学の先生の数学的な答えはそれで正しかったのかもしれないが、「俳句はこれで終わりです」の言葉は、言ってほしくなかったと、今でも思う。
 弁護士 田中 清(弁護士法人銀座ファースト法律事務所)