銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

高校13 高校二年生三学期

 いつしか、高校二年生三学期になっていた。
 「大学に行かせてくれるよね」と母親に聞いたところ、「行かせてはあげる。しかし、条件が3つある。1つ目は、国公立であること、うちは、お金が無いから、私立大学に行かせることはできない。2つ目は現役であること(浪人は絶対に許さない)。これも同じ理由(うちはお金が無い)。3つ目は、下宿を許さないので、家から通える範囲で行くこと。これも同じ理由(うちはお金が無い)」との答えが返ってきた。
 私も、家の窮状を知っているだけに、一切反論はできなかった。
 「もっと勉強をしなければ」とつくづく思ったが、実行が伴わない。
 この条件に合致する大学は、一期校では、京都大学大阪大学神戸大学大阪市立大学しかなく、二期校では、滋賀大学しかなかった。
 一応、希望校を、一期校 京都大学経済学部、二期校 滋賀大学経済学部と定め、社会の選択科目は、世界史と日本史の2科目、理科の選択科目は、化学と生物の2科目と定めた。
世界史、日本史、化学、生物、国語は、好きな科目であり、自信もあった。数学は、良いときは抜群に良く、悪いときは、散々の成績だった。英語は、前にも述べたが全く自信がなく、成績も悪かった。
 そこで、高校2年生3学期から、英語と数学の勉強に力を入れることとし、英語は、英文法、数学は教科書の公式と模範問題に力を入れた。
 問題は、ガラクタグループである。相変わらず、ガラクタグループからの遊びへの誘い、特に井上からの遊びへの誘いは、毎日のようにあった。
 こんなことをしていてはいけない、親に申し訳ないと思いながらも、ついつい、井上と暗くなるまで遊んでしまっていた。
 家に帰って、ごはんを食べて机に向かうが、1時間もしないうちに睡魔が襲ってきて、寝てしまう。英語のラジオ講座も聞くことにしたが、いつも最初の5分から10分間だけ聞いて、あとは寝込んでしまっていた。

 当時、舟木一夫の「高校三年生」の歌が流行った。

   赤い夕陽が 校舎を染めて
   ニレの木陰に 弾む声
   あああああ 高校三年生
   僕ら 離れ離れに なろうとも
   クラス仲間は いつまでも

   泣いた日もある 怨んだことも
   思い出すだろ 懐かしく
   あああああ 高校三年生
   僕ら フォークダンスの手を取れば
   甘く匂うよ 黒髪が

   残り少ない 日数を胸に
   夢がはばたく 遠い空
   あああああ、高校三年生
   僕ら 道はそれぞれ別れても
   越えて歌おう この歌を

 この歌は、何度歌ったことだろう。一学年上が高校三年生であり、私たちは高校二年生だったが、同じ高校生として共感があった。今でも、この歌を聞くたびに、高校時代のことが昨日のことのように思い浮かび、胸が熱くなる。
弁護士 田中 清(弁護士法人銀座ファースト法律事務所)