銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

大学35 落書きとその中身

 今、当時の教科書を振り返って見ると、赤ペンで線が引いてあったり、青いペンで自分の考えが書いてあったりする。
 今から思えば、正しいことなのか、間違っていることかの判断はつきかねるが、当時こんなことを考えていたという意味で、欄外の私の落書きを紹介する。例えば、団藤重光教授の「刑法綱要総論」226頁〜227頁には、次のような落書きがある。

 「直接的な反規範的態度が与えられないのは、法律の錯誤も同様である。特に期待可能性の錯誤をも事実の錯誤としなければ、一貫しないのではないか」
 団藤重光教授の故意責任の記述に対して
 「おそらく団藤教授の理論は、一貫しないのではないかと思う。違法性阻却事由たる事実の錯誤も違法性の錯誤であり、違法性の認識の可能性があった以上、故意を阻却しない。ただし、それが無理のないことであれば、期待可能性の理論により責任が阻却されるものと思う。なぜなら、法律を知らずして正しいとしてなした行為も正当防衛が許されると思ってなした行為も、本質的に何らの差異もないからである。」
 「違法性の認識の可能性にいわゆる可能性は、広い意味での過失である。団藤教授は、故意の要件として、過失の要素を取り入れたからこそここにいわゆる矛盾が露呈したのである。したがって、故意の要件として違法性の認識の可能性の概念を捨てるか、あるいは、違法性の事実に関する錯誤は、素直に違法性に関する錯誤と認めるべきである。しかしながら、私としては、違法性の認識の可能性を故意の要件として良いと思う。これは、法の理論の要求ではなく、多分に法政策的な又は法目的論的なものである。これを否定するなら、刑法の機能が低下してしまうからである。」

 今となっては、当時の若い考えに苦笑するだけであるが、3回生3学期の1月ころに、このような落書きを本に残していたことは事実である。

 弁護士 田中 清