大学53 口述試験合格
口述試験発表は、10月1日か2日と記憶している。
合格発表には、土居が一緒に付いてきてくれた。そういえば、京大の合格発表のときも土居と一緒に見に行った。
法務省庁舎の薄暗い中庭に白い紙が張り出されていた。受験番号を発見し、「あった!」と小さな声で叫んだ。
土居が、「清さん、おめでとう」と言って握手を求めてきた
私は、「ありがとう」と言って、その手を握り返した。公衆電話から自宅の両親に合格の報告をした。
土居が、「嗣郎が、高田の馬場で待っているから、これから行こう」というので、土居と一緒に高田の馬場に行くことにした。
嗣郎は、土居と同じく、茨木高校の同じクラスで、京大法学部を一緒に受験した仲間であり、2人とも早稲田大学法学部に在籍していた。
高田の馬場の駅近くの地下の居酒屋に嗣郎は待っていた。しばらく振りの再会である。
「清さん、おめでとう。よかったなあ。それにしてもすごいな。現役合格なんて」
しばらく、懐かしい再会に話が止まらなかった。
嗣郎は、早稲田大学卒業後、毎日新聞社に入り、その後新聞記者を止め、「9四歩の謎 坂田三吉伝」「歌舞伎を救った男」「陛下をお救いなさいまし」などの作品を、次々と世に発表し、今から12年前の2003年8月に腎臓がんのために亡くなった。このことは、「弁護士法人銀座ファースト法律事務所の公式ブログ」の2013年8月ころに書いたとおりである。
また、同8月、嗣郎の「陛下をお救いなさいまし」を原作として、「終戦のエンペラー」という映画が全国で上映されたことは、同公式ブログで記載したとおりである。
この夜は、岡本嗣郎と土居豊彦と3人で夜遅くまで弱い酒を飲んだことは、懐かしい思い出である(今は結構お酒を飲むようになったが、当時は、本当に酒には弱かった)。
嗣郎が生きていたら、このブログは、欠かさず読んでくれただろう。そして、電話をくれたのではないかと思う。今でも本当に会いたいと思う友人である。本当に残念に思う。
その日は、終電車近くまで飲み、土居の下宿に泊めてもらった。
弁護士 田中 清(弁護士法人銀座ファースト法律事務所)