銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

競馬

 競馬を始めたのは大学4年生の有馬記念からだった。
 そのころは、「有馬記念は、好きな馬の飼い葉代にしてやればいいんだ。お祭りなんだから」という、11PMの大橋巨泉の話を聞いて、「これだ」と思って、好きだと思う馬を買った。
 そして、競馬の重賞レースを毎回買いだしたのは、司法研修所4月の桜花賞皐月賞オークス、ダービーからだった。これも村地さんから手ほどきを受けた。しかし、幼いころから、「博打は絶対やったらあかん」という、両親の言葉があったので、親に刃向かって悪いことをしているという感覚があった。しかし、このような悪いことをしていること自体が痛快であるという感覚は何に例えたらいいのだろうか。

 それが親からの真の巣立ちであるのかもしれない。
 高校時代、親と話をするのが嫌で、何日も話をしなかったことを思い出す。私は、それが反抗期かと思っていたが、やはり親の道徳観や地域の慣習から抜け出ていない「いい子」だったと思う。親が嫌でも、経済的従属はどうしようもなかった。親が「国公立でないとダメ。現役でないとダメ。浪人は許さない」と言われたら、それに反抗できない経済的従属関係だった。しかも、親がお金があるのに「国公立・現役」を言っているのではない、本当に私立に行かせる余裕がないということが分かっていた。
 しかし、酒、麻雀、タバコ、競馬、パチンコとくると、親への反抗が行動になって出てきたのである。それができたのは、自分で給料をもらい、経済的にも独立を果たせたのが大きかった。
 以前のブログで、「盆栽の松では面白くなかった。山で自由に枝を伸ばす松になりたかった」と書いた。実際に、司法研修所前期の馬橋寮の生活は自由な松の気持ちだった。

 司法研修所の前期の終わりころ、クラスの文集を出した。そのとき、アウトローへの考え方への共鳴と自由な松の作文を掲載した。そのとき級友から「俺は、田中の気持ちがやっと分かったよ」と2〜3名から言われたことがある。少し変わった不良修習生に映っていたのかもしれない。

  弁護士 田中 清(弁護士法人銀座ファースト法律事務所)