スリ係専門刑事修習
検察修習で、スリ係専門刑事と一緒に一日を過ごすという修習があった。
スリ係専門刑事は、とにかく繁華街をひたすら歩き、スリを現認すれば、現行犯逮捕するという仕事である。
スリは、人の胸ポケットや後ろポケットに入っている財布をあっという間に盗むのであるから、相当の熟練した技術を要する。単独犯のこともあるが、仲間と一緒にやることも多い。そのときは、実行犯、幕(実行犯が犯行をしているときに、見つからないように立ちはだかる人物)、見張りの3人で犯行を犯す。
「彼らは、もう、スリ以外の職業には就けないですよ。だって、1日で100万円くらい軽く稼ぐのですから。汗水流して働くのが馬鹿馬鹿しいですよ。だから、重い刑罰が必要ですし、軽々しく保釈すべきではありません。保釈金なんか、一日で稼いじゃいますから」
スリ係専門刑事なりの経験に裏打ちされた重い言葉である。
一口に窃盗罪と言っても、空き巣、置き引き、スリ、万引きなどの類型があり、空き巣は、スリをしないし、スリは空き巣をしない。下着窃盗は、原則として下着以外のものを盗まない。人間社会に私有財産制が成立したころからの歴史の古い犯罪である。
しかし、共通するのは、一度盗みをすると癖になり、これを盗癖(とうへき、ぬすみぐせ)という。要するに、普通の一般家庭に育った人は、他人の物を盗むということは、乗り越えられない柵があって、容易なことではない。むしろ、一般の人は、盗みを働くくらいなら、飢えか死を選ぶであろう。しかし、一度盗みをしてしまうと、スリ係専門刑事がいうように、働くのが馬鹿馬鹿しくなり、盗みで生計を立てるようになってしまう。
この日は、主に阪急・阪神の2つのデパートを中心に歩き回った。ときどき、怪しい人物が居ると、「あれなんか怪しいですよ。良く見ていてください。」と呼びかける。じっと目を凝らして見ていたが、結局は犯行にまでは、至らなかった。
スリではないが、面白かったのは、デパートの8階にある食堂でのできごとだった。一人の男がキョロキョロしながら、机と机の間を歩いていた。
スリ係専門刑事は、「あれは、残り物食べ歩きですよ。要するに、お客さんが、ご飯やおかずを食べ残すでしょう。それを食べ歩くのです。デパートの食堂だからきれいですものね。」
なるほど、いろいろな人が居るものだなと思った。
「休みの日に、家族と遊園地に行っても、職業病というのでしょうか。スリを現認して捕まえたことがありますよ。嫁さんからは、『休みのときくらい、仕事を忘れてよ』と叱られたことがありますがね。」と言って笑っておられた。
この日は、結局スリは、捕まらなかったが、社会勉強になったと思った。しかし、スリ係専門刑事の健脚には驚かされる。エレベーター、エスカレーターを使わずに、ひたすら8時間くらい歩くのである。この日だけで5万歩くらい歩いたであろうか。
大変な仕事だと思った。
弁護士 田中 清(弁護士法人銀座ファースト法律事務所)