銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

母の病気

 司法試験に合格して帰郷した日の翌日の昭和43年10月4日、母が「お腹が痛い」と言って七転八倒の苦しみを訴えた。顔を見れば真っ黄色である。母は、私が大学1年生の3学期のときに胆嚢結石で入院しているが、そのときの症状にそっくりであった。しかし、母は、既に胆嚢を除去しているので「なぜ、胆嚢結石と同じ症状が出るのだろう」と疑問に思った。
 掛かりつけの中野医院まで軽四輪で行ったが、中野先生は「ただの腹痛でしょう」といって、腹痛の薬を処方するだけだった。母がただの腹痛でないことは、黄疸を見ても明らかであり、そんなことは、医者でなくても分かることである。私は、中野先生の誤診だと確信して、その足で高槻市大阪医大まで運んだ。
 レントゲン撮影の結果、送胆管結石と分かった。要するに、胆嚢は取り去っているので無いのだが、肝臓から十二指腸に胆汁を運ぶ送胆管に長芋のような結石があり、それで胆汁の行き場がなくなり、全身に黄疸が発生したのである。
 直ぐに手術と決まり、母の入院生活が始まった。幸い手術は成功し、送胆管結石を取り去り、バイパスの送胆管も新たに作った。しかし、当時の手術は、開腹手術で、30針分ほど切って手術をする。当然術後の回復も遅く、術後約1か月の入院を要した。
 家の中では、兄2人は働いており、姉は嫁いで、子育てに忙しい。
 司法試験も終わり、授業もほとんど出ないので、暇なのは私しかいない。
そこで、私は、毎日母の看病をして、病室(個室)に泊まり込むことになった。これまで、苦労を掛けた分、恩返しをする良い機会だった。完全看護だったが、看護師(当時は看護婦)の手も足りず、母のベッドの下で蒲団を敷き、夜中も下の世話をした。母にアンパンを2つ持たせ、私が眠っているときに用事があれば、私を目がけて投げてもらった。失敗する可能性もあるので、アンパン2つを持たせたのである。私は、当時は、目敏かったので、当たれば必ず起きる。したがって、ほぼ母の要求に答えることができた。
 司法試験も終わったので、遊ぶ計画を一杯立てていたのだが、すべて棒に振った。中務ゼミのゼミ旅行も安平らが計画し、私を除く全員が参加したが、私は、母の看病を優先して参加することができなかった。
 しかし、母が元通りの元気な身体になったことは、何事にも代えられない喜びであった。

  弁護士 田中 清(弁護士法人銀座ファースト法律事務所)