銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

尼崎24 大阪地方裁判所への転勤の内示

 昭和52年1月、大阪地方裁判所判事補の勤務を命じる旨の異動の内示がありました。
 これまで6年間、金沢地裁神戸地裁尼崎支部と勤務しており、大阪地裁を希望していましたので、希望通りになるのではないかと確信していましたので、全く驚きはありませんでした。
 その後、大阪地裁の第8民事部に配属する旨の通知がありましたので、本格的に民事部の裁判ができると思い、嬉しく思いました。
 そして、友人の大阪地裁の裁判官から、「お前の行く民事8部の裁判長は、金田育三さんといって、素晴らしい人だよ。良かったな。」と言われました。
 とにかく、民事合議部の右陪席ですので、初めて部下の裁判官ができるという喜びもありました。
 しかし、今ある尼崎支部の単独事件をできるだけ件数を減らして、後任の裁判官に引き継ごうと思いました。前のブログ(尼崎19)で、「担当事件数約160件、証拠調べは、6か月先でないと入りませんでした。担当事件数は、尼崎支部の民事単独1開廷160件は、2開廷に換算すると約320件ですので民事事件とすれば異常に多く、一般的には処理しきれないほどの事件数です。そして、新件は15件ほど配点されますので、月に15件を落とさなければ、どんどん事件は溜まっていきます。」と書きました。
 したがって、これをできるだけ減らして、正常未済事件数である100件以下にするのが、私の一番の目標でした。それで、平成51年暮れ頃には、未済100〜110件になり、証拠調べは2か月〜3か月先に入るようになりました。
内示を受けた昭和52年1月以降も精力的に判決を書き、裁判上の和解で事件を落とした結果、後任の裁判官に引き継ぐ昭和52年3月末の段階では、未済90件となり、証拠調べは、1か月半〜2か月先でも入るようになったのです。

弁護士法人銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清