銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

大阪地裁最後の事件数

 私が大阪地裁に来たときに、私の担当の単独の事件の手持ち事件数は、約250件くらいだったと以前に書いたと思います。これだけの事件数ですと証人調べは4~5か月先になります。もちろん、そのような審理をしていると、事件は益々落ちず、増えていくばかりです。

 私は、しかも新件は、月に22~23件入ってきます。このうち、簡単な判決で落ちる事件は、月に6~7件あります(欠席判決・公示送達判決)。取下げも月に2件ほどあります。重い(手間が掛かる)判決は、月に5件書くのが精一杯です。月にせいぜい4~5週しかありませんし、子供と遊んであげる日を日曜日とすると5件が最高ということになるのです。

 そうすると、残りの11~12件は、和解で落とすしかないのです。そして、証拠調べに入る前の事件を和解で落とすと、証拠調べもする必要がありませんので、効率よく事件が落ちます。和解で、月に13件以上落とすと事件がどんどん減ってきます。このようにして、私は、積極的に和解で落とすよう心がけました。もちろん、判決で落とすことも嫌がらず、月に5件は、重い判決を書くようにしました。

 このようにして、大阪地裁も残り僅かとなったとき(昭和55年2月ころ)には、私の手持ちの単独事件は、180件ほどになっており、証拠調べも1か月~2か月ではいるようになっていました。180件は理想的な事件数です。このようにして、裁判官生活も非常に楽しくなってきて、益々裁判が好きになってきたところで、訟務検事への転勤を言い渡されたのです。

 私が、金田裁判長に対し、「私は、裁判官ならどんな遠くにでも行きたいと思うのですが、正直言って訟務検事には行きたくありません。断ってもよいでしょうか」と言ったのには、このような理由があったのです。

 

弁護士法人銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清)