銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

小学校低学年その1

私は、昭和28年4月、高槻市立清水小学校原分校に入学した。
 清水小学校は、高槻市の山側の,同市の約3分の1の広い面積を管轄区域とする小学校で、1学年本校約40人、原分校28人、萩谷分校約5人であったと記憶している。
 小学校の管轄区域は、本校は、大阪平野の延長の平坦な平野であるが、その北側の原分校及び萩谷分校の範囲は、ほぼ99%が山である。大阪にもこんなに山深いところがあるのかとびっくりされるに違いない。本校まで歩けば子供の足で90分は掛かると思う。それで、小学校3年生までは分校で、小学校4年生から6年生までは本校で勉強するということになっていた。
 なお、後年、村のすぐ近くまで大阪のベッドタウンとして大規模な宅地造成がされ、北清水小学校ができたので、原分校は、昭和47年ころ同小学校に統合され、廃止されたとのことである。

 村には約200軒ほどの世帯があるが、そこから1学年28人の同級生が分校に集まった。原分校は、村の真ん中にあり、村は、上、下、西、東、中に分かれている。私の自宅は、下にあるので、分校からは一番遠く、歩いて20分ないし25分くらい掛かる。
私、M君、Y君、R子ちゃん、M子ちゃん、F子ちゃんの6人が、下から通っていた。
 当然、男の子と女の子とは、別々に通学するので、私、M君、Y君の3人で、いつも通っていた。行きは、歩いて20分ないし25分くらいであるが、学校からの帰りは、いつも1時間くらい掛けて、遊びながら帰った。