銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

高校28 二期校の願書提出と卒業式

国立大学二期校の願書の受付けは、2月11日から2月20日までだったと記憶する。私は、郵送で滋賀大学経済学部に願書を出し、受験中の宿も2泊予約した。でも、全く受験する気にならなかった。そして、このころになって、机の奥から京大経済学部の願書も出てきた。
 母には、せめて同志社大学法学部を受験させてくれと頼んだが、「うちにはそんな金はない」と言われ、一蹴された。下の兄からは、「京大は法学部やのに、何で滋賀大は、経済学部やねん。一貫してないやないか」と言われたが、「二期校には法学部があらへんからしょうがないやないか。国公立しか受験させへんと言うからやないか」と反論した。もともと下の兄は、経済学部を勧めていただけに、急に相談もせずに法学部に変更したことに不満だったのかもしれない。

 2月10日ころ、卒業文集も無事出来上がり、全員に配布することができた。
 茨木高校の卒業式は、他の高校よりも少し早く、2月25日に挙行された。
 卒業式後のクラスの謝恩会では、嗣郎が音頭をとり、全員で「高校三年生」や「学園広場」などを歌って楽しく過ごした。特に、少し音痴だった村江に対し、嗣郎が「チャンチャンチャチャチャ チャチャチャチャチャンチャン」とイントロをいうと、村江は、半分嫌々ながら(余り嫌がっているとも思えなかったが)「赤―い夕日がー」と「高校三年生」を歌い出す。それが少し音痴なので面白い。嗣郎は、「のーちゃん。行くぞ」と言って、何度も何度もイントロをやって、村江に歌わせ、何度も大爆笑をした。もう1人、真正の音痴がいる。本人の名誉のために、ここではSとしておく。Sは、音程が全く外れているので、最初から大爆笑である。Sには、2度ほど歌わせたが、最後は本人が音痴と気付いて歌わなくなってしまった。

私は、離れの納屋の2階の押入れで勉強をしていた。押入れと言っても4畳くらいの広さがあり、横90㎝、縦60㎝の小さな窓が一つある部屋である。小さな窓の前に机を置き、そこで勉強をし、机の後ろに畳を1枚敷き、布団を敷きっ放しにして寝起きしていた。外界から隔絶されているので、落ち着いて勉強ができたが、隙間風が入る部屋なので、相当寒いのが難点であった。暖房具は足を暖めるスリッパ式のもので、腰から下をくるむというものだった。これも、高校の先生から「頭寒足熱が良い」と勧められた結果であり、部屋全体を暖める暖房は使用しなかった。寒がりの私は、ジャンバーを2枚着てモコモコになって机に向かっていた。
弁護士 田中 清