銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

身体検査での上京 その2

 11月の中旬、身体検査で上京した折、西村重雄先輩から教えられたとおり、野崎幸雄判事のところに電話した。多分日曜日だったと思う。野崎判事は、司法研修所の民事裁判教官をしていらっしゃるとのことで、司法研修所の話も聞けることを期待した。
 電話口に野崎判事が出られ、「西村さんから聞いているよ。いらっしゃい。」と言っていただいた。
 教えられたとおり、日暮里から常磐線に乗って松戸まで行き、裁判官官舎を訪ねた。
 野崎判事から、「君は、何になりたいの?」と聞かれたので、「私は、弁護士になりたいと思っています」と素直に答えた。
 法律相談部で相談を受けているとき、先輩の米田弁護士(淀屋橋・山上合同代表弁護士)や瀧井弁護士(後の最高裁判事)がいらっしゃって、快刀乱麻のように法律相談をされるのを見て、非常にカッコいいと思ったのがその動機である。しかし、何となく司法試験に合格してしまったが、裁判官や検察官、そして弁護士のことも、何も知らないというのが正確だった。

野崎判事から「君はいくつになる?」と聞かれたので、「21歳ですが、来年2月に22歳になります。」と答えた。
 「君は、弁護士になって儲かると思うかね。」
 「いや、ちょっと分かりません」
 「君は、鏡を見ているかね。例えば医者に例えよう。君のようなヒョロヒョロとした医者が出てきたとき、患者さんは、お金を払う気がするかね。頼りなくて、お金を支払う気にならないんじゃないかね」
 なるほど、こんなに思ったことをズバリと言われたこともなかった。確かに私は、当時は約52㎏、173㎝、痩せていてひょろ長く貫禄の微塵もなかったし、それが私のコンプレックスだった。
 「はっきり言おう。君の取り得は、若さだけだ。若くして司法試験に通ったというだけだ。弁護士になろうなんて、決して思っちゃ駄目だ。裁判官になりたまえ。君は、裁判官になったらいい。むしろ、裁判官こそが君を生かす道だよ。裁判官になって、貫禄ができてから弁護士になっても遅くないんじゃないか」
 「はい。考え直してみます」
 「是非、そうしたまえ。そうだ。少し飲もう。いいだろう」
 「はい」
 「そうだ。藤井君も呼ぼう」と言って、藤井正雄判事も呼ばれ、3人で一緒にウィスキーを水割りでいただくことになった。
 野崎判事は司法研修所8期で、そのずっと後、名古屋高裁長官で定年退職され藤井判事は司法研修所9期で、当時同じく司法研修所教官であり、後に法務省民事局長から最高裁判事になられた方である。2人とも京大の法律相談部の先輩にあたる。お二人からは、その後も何かにつけてお世話になったが、その最初がこの出会いだった。

 野崎判事は、私の人生の針路を決めた3人目の人だった。1人目は、茨木高校、京大の先輩で、経済学部に行こうと思っていた私を法学部に希望学部を変えた人、2人目は住友銀行に人事部の人で、銀行に行かずに済んだ人だった。そして、3人目は、野崎判事であり、私の針路を弁護士から裁判官に変えた人である。

  弁護士 田中 清(弁護士法人銀座ファースト法律事務所)