銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

裁判官任用試験その2

 この面接で、矢口人事局長から言われた「君は、元来優秀なのに、勉強が足りないのではないの。」という言葉は、私の胸にずしりと響いた。酒やたばこをのみ、麻雀やパチンコをして遊び呆けていたことは、すべて人事局長にはお見通しだったのである。

 中国の故事に、「四知」という言葉がある。賄賂を贈ろうとした相手方が「こんな夜中ですから誰も知りません。どうぞお納めください」と言ったのに対して、その人は、「天知る、地知る、子知る、我知る。何ぞ知る無しと謂わんや」(天が知っている。地が知っている。きみも知っている、わたしだって知っている。誰も知らないということはあるまい)と言ったことを思い出した。
 私は、修習生時代、遊びに遊んだことを心の底から恥じ入り、矢口局長がおっしゃったとおり、裁判官になったら、国民のためになるように、勉強して立派な裁判官になろうと誓った。

 面接の様子がどんなであったかを聴取していた任官志望の仲間(仮にX君としておこう)がいたので、面接の様子を報告した。これによると、何人かは、「人事局長からボロクソに言われた」と言っており、随分落ち込んでいた。例えばA君は、局長「君は二回試験で失敗したことがあるかね」、A「民事裁判で・・・と書くべきところ、……と書いてしまいました」、局長「それは、駄目だね。致命的な間違いだね」と言われたそうである。
 私から報告を受けたX君も、「田中さんは大丈夫だね」と言ってくれた。

 結果として、裁判官志望者63名のうち、56名が裁判官として任官し、A君を含む7名の裁判官志望者が任官を拒否された。そして、23期の私の同期には、東大7月入所組が居たので、東大7月入所組8名を加えて、64名が23期裁判官ということになる。
 なぜ、東大7月入所組ができたかというと、東大紛争のために、東大の卒業式ができず、東大の入試も行われなかったので、7月に卒業した東大出身者のうち裁判官になった者が8名居たということである。

 弁護士 田中 清(弁護士法人銀座ファースト法律事務所)