裁判長の病気その2
裁判官9年目とはいえ、まだ33歳です。
単独事件は5年目でしたが、合議事件は右陪席に座ってはいましたが、合議裁判長の経験はまったくありません。
しかし、大阪地方裁判所所長の職務命令ですので、もちろん、やらざるを得ません。
右陪席に填補に来ていただいたのは、当初、同期の23期の人が2人続きました。いつも飲んでいる気心の知れている仲間ですので、緊張感は、全くございませんでした。なるべく事件を終結しないようにと思っていましたが、どうしても延ばす理由がない事件は終結して、私が判決起案をするようにしました。
一番恥ずかしい思いをしたのは、私が修習をした中坊公平先生の構成員の先輩の正木先生が来られたときでした。法廷に入った途端、正木先生は、本当にびっくりされて、その驚いた顔を見て、私の方が笑いをこらえきれなかったことを覚えております。
3人目の填補は21期の先輩の松山裁判官でした。そのときも、どうしても終結せざるを得ない事件があり、終結した上で、私が起案して、松山裁判官に添削をしていただきました。
左陪席は、小佐田裁判官でした。ほぼ毎日、西宮の入院先の病院にお見舞いに行きましたが、日に日にご回復されていることが本当に嬉しかったです。
病院の帰りには、小佐田裁判官と西宮の居酒屋で飲んで帰るのが日課でした。
(弁護士法人銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清)