銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

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江戸時代後半の世界の人口

江戸時代後期1800年ころの世界最大の都市は、江戸(現在の東京)と言われております。江戸の人口は、約100万人、ロンドンの人口は、約86万人、パリの人口は、約55万人、大阪の人口は、約42万人、京都の人口は、約34万人だったと言われているのです。


江戸と大阪・京都の巨大な人口とその衣食住を支えるためには、交通の発達が不可欠です。5街道の整備(東海道中山道甲州街道日光街道奥州街道)とその脇街道の整備です。さらに、菱垣廻船、樽廻船、東回り航路、西回り航路などの海上交通も発達しました。


江戸の人口100万人は、ほとんど100平方キロメートル内に住んでいましたので、人口密度は1万人ということになります。したがって、シンガポール8000人、モナコ19000人の間だったといえます。


「火事と喧嘩は江戸の華」といいますが、大きな火事だけで約50件、小さな火事は、この50倍はあったと言います。なぜ、こんなに火事は多かったのでしょう。それは、人口密度が1万人という多さ、そして、木造建築であり、庶民が暮らす長屋では、平均4畳半の広さの部屋で肩を寄せ合って暮らしていたのです。ご飯を焚くのは竈で薪を燃やしますし、あかり取りには、行灯の火を使います。 その上現代より喫煙率が圧倒的に高かったらしいので、火事が多いのも当然です。


享保時代に、大岡越前の守が、「町火消の制度」を作りました。「いろは48組」と言いますが、実際には、落語の話によりますと、「ら組」「ひ組」「へ」組「ん」組は作られなかったそうです。作られなかった理由については、落語を聞くか、インターネットでも載っていますので、ここでは記載を省略します。


それにしても、江戸時代は、多くの庶民がいきいきとした生活を送り、その力強さを感じますね。

 

 

銀座ファースト法律事務所 弁護士 田中 清