銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

アウトローへの理解

 司法研修所に入るまでの22年間、私は、両親にとって「いい子」だったと思う。私にとって、麻雀で遊ぶようになったことは、両親への反発だったように思う。それから、競馬、パチンコ、タバコ、酒、女性と、どんどん両親に反発する「悪い子」になっていくようだった。そして、それが快感であったことも否定できない。

 司法試験受験中の大学3年生、4年生のころ、嗣郎、土居、池谷と4人で会ったときによく議論を重ねた。そのとき、嗣郎は、「お前らは、常識に束縛され、体制内でのうのうと生きているが、それでいいのか。体制を全否定したところに本当の意味の精神的開放があるのではないのか。俺はアウトローに憧れる。」と言った。しかし、嗣郎が体制を全否定できるような男でないことは、嗣郎自身も知っていたと思う。私も、自分の属している社会・体制を否定し、アウトローで生きていくことは、本当の意味で精神的に解放されることだと思った。アウトローは、体制から否定されているのだから、アウトローからすれば、逆に体制を否定すれば存在価値があるからだ。
 しかし、「俺も池谷も、所詮、アウトローにはなれないよな」と池谷と話したことは覚えている。

 嗣郎からは、早稲田大学アウトローの友達の話を良く聞かされた。そして、早稲田大学アウトローの友達は、揃って森進一の歌が好きだと聞いた。私は、それまで森進一の歌は好きではなかったが、彼の独特のハスキーな声で歌い上げる歌には独特の哀愁が漂っており、「なるほどアウトローの好きな歌かもしれないな」と思った。「港町ブルース」「年上の女」「花と蝶」などは、当時流行った歌であり、それから森進一の歌が好きになった。森進一の歌を歌えば、一時的にアウトローの心情を理解できたような気がしたからである。

 とにかく、両親から初めて独立し、自分で給料をもらって自立したことが、何事にも代えがたいほど楽しかった。
 飼い犬にはなりたくなかった。どんなにひもじくても、野良犬になりたかった。
 盆栽の松では面白くなかった。山で自由に枝を伸ばす松になりたかった。

 弁護士 田中 清(弁護士法人銀座ファースト法律事務所)