金沢20 人事異動
昭和47年3月、加藤裁判長が民事部の裁判長に、上野裁判官が高裁民集部右陪席判事にご栄転となりました。
加藤裁判長と上野裁判官そして何人かの裁判所書記官が転勤となり、刑事部で送別会が開かれました。そして、3人しかいない裁判官のうち2人が転勤となると、送別会の挨拶は、刑事部3番目の序列の私が挨拶をすることになります。当時25歳になったばかり、貫禄のかけらもありません。
それでも、どのようなことを話そうかと考えて練習し、大過なく?挨拶を終えることができました。
加藤裁判長から、「田中さん、挨拶もうまいねぇ」と褒められたとき、大任を果たした達成感もあり、素直に嬉しく思いました。
お2人の代わりに、河合裁判長と小島寿美江判事(女性)が転入されました。
そして、新任の方の歓迎会の挨拶は、また、私ということになります。こうして、挨拶に慣れてくるのでしょうが、当時は、そんな余裕は、全くございませんでした。
河合裁判長は、これまで刑事専門にやってこられた方で、細かい刑事手続もいろいろと教えていただきました。事実認定や量刑の合議はきちんとやるのですが、判決書は、そんなにうるさくおっしゃいませんでした。
「田中さん、この事件は、起訴状どおりでいいよ」とおっしゃったときは、起訴状のとおり起案すれば、そのまま起案を通していただきました。証拠の標目及び法令の適用も「刑事判決起案の手引き」どおり起案すれば良かったのです。
しかし、この刑事判決の書き方は、裁判長によって随分変わるのです。後に苦労した話は、別の項目で述べましょう。
弁護士 田中 清(弁護士法人銀座ファースト法律事務所)