銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

2014-01-01から1年間の記事一覧

大学その12 祭りのアルバイトその2

大学1年生のとき、祇園祭にも空手道部から参加しろとの命令があった。 祇園祭は、葵祭、時代祭とともに、京都三大祭りの1つと言われている。また、大阪の天神祭、東京の神田祭とともに、日本三大祭の1つでもある。 祇園祭は、宵山、宵々山、宵々々山から…

大学その11 祭りのアルバイトその1

大学1年生で書き忘れたことが3つくらいあるので、今回から3回書き忘れたことを書くことにする。 空手道部から、祭りのアルバイトがあった。 まず最初は、菅大臣祭りである。大学1年生の5月10日前後に、「どうしても出てこい。これは、空手部の大事な…

大学その10 K子善福寺の誓い

昭和41年4月中ころから次第に司法試験のことが気になりはじめていた。 「俺は何のために京大法学部に入ったのか。田中先輩に言われて、経済学部から法学部に志望学部を変更し、司法試験を受けるのではなかったのか」 空手道部は、ほとんど毎日真面目に通…

大学その9 K子のこと

読書研究部の後輩に、綺麗な女生徒のK子が居たこと、K子とは大学に入ってから付き合うことになることを、高校8で述べた。 実は、昭和40年8月に読書研究部の合宿に招待され、能勢のお寺の合宿に行ったことがあった。そのときの合宿にK子も来ていたが、…

大学その8 学生運動

私が入ったころの大学では、学生運動がさかんだった。大学構内は、立看板が何層にも立てられていた。丁度、私が大学一年生のころは、ベトナムが南北に分かれているときで、北ベトナムが社会主義、南ベトナムが資本主義だった。南ベトナムが危ないということ…

大学その7 遊び人グループなど

大学の夏休みは、7月10日から9月10日までである。 大学の1学期では、クラスの友人、空手道部の友人、南陽院の友人ができたが、一番親しく騒いだのは、クラスの友人であろう。 クラスを引っ張っていたのは、SやYなどの1浪組約10人(以下「遊び人グ…

大学6 南陽院下宿その2

南陽院の下宿は、羊小屋を改造したものということで、6部屋あった。私の部屋は、一番小さな部屋で、3畳間であり、畳2畳に二階建ての押入れ1畳だった。下に荷物を入れ、上に布団を引いて就寝するというもので、非常に合理的だった。簡単な机と椅子も置い…

大学5 南禅寺南陽院下宿

以前にも書いたように、国鉄(JR)高槻駅から私の村までの最終バスは午後9時25分発だった。 空手道部に入り、練習や飲み会で遅くなると帰るバスがない。しかし、歩けば、高槻駅から自宅まで、1時間掛かる。さらに、親から離れて下宿したいという願望は…

大学4 空手道部

高校のときは、文化系クラブに3つも所属したので、大学では体育会(運動部)系クラブに所属しようと考えていた。 吉田構内(旧制三高構内)を歩いていると、巻き藁を叩いている空手道部部員がおり、その前で、部員が新入生勧誘をしていたので、思わず入部の申込…

大学3 貧乏学生

大学は、今も知り合いが多く、年に数回ゴルフや新年会、暑気払いで集まっている。したがって、実名で書くのは憚られる。 クラスでは、浪人生が元気で、リーダーシップを取っていた。父親の職業は、弁護士、税理士、会社役員など、裕福な家庭の息子が多かった…

大学2 クラス分け

大学の法学部では、1組から5組までに分かれ、1組から4組まではドイツ語選択クラス、5組のみがフランス語選択クラスだった。私は、ドイツ語を選択したので、法学部4組(J4)に配属された。法学は、英語で「Jurisprudence」なので、学生服には…

大学1 合格最低点など

私は、母に対して、「入学式はいいよ。来るなよ。」と言ったが、母は、5人組と約束したので、入学式に行くと言って聞かない。しかし、一方で、母に対する感謝の気持ちは強かったので、入学式出席を許すことにした。 入学式のあとで、母が、「岡山の人だけが…

高校34 大学合格

入試が終わってから1週間が過ぎた。 スーちゃんから、「清さん、どうやった?」と電話が入った。「あかん。落ちたかもしれへん。スーちゃんは?」と聞くと、「まあ、大丈夫と違うかな」と自信のある様子だった。私は、受けるまでは楽観的、試験が終わってか…

高校33 入学試験3日目

母は、3日目も付き添ってきた。「もう来なくていいよ」と断ったが、5人組のお母さん方と約束しているからと言って付いてきた。もう息子の体調を心配するというよりも、5人組との付き合いが楽しいようだった。母を除く四人のお母さんは、いずれも現役で、…

高校32 入学試験2日目

入試2日目になると、熱は37度くらいに下がった。しかし、薬の副作用からか、菌がお腹に入ったのか、激しい下痢になり、水のような便が頻繁に出るようになった。 もう1つは、白金カイロを背中とお腹に一つずつ巻いていたのだが、低温火傷をしたらしく、猛…

高校31 入学試験1日目

最初の試験は、英語だったと記憶する。豆単のお蔭で、ある程度は解けたが、自信は全くなかった。 昼食後、午後からの数学の試験に臨んだ。そこでびっくりしたのは余りにも問題が易しいことだった。京大の数学は難しいことで有名である。200点満点で60点…

高校30 大学入試当日

私は、小学校、中学校、高校を通じて、熱があっても学校を休んだことがなかった。だから、熱があるから大学入試を休むという発想は全くなかった。 3月3日の試験当日になっても熱は38度以下には、下がらなかった。ベスト・コンディションで入試に臨めなか…

高校29 インフルエンザ

高校29 インフルエンザ 大学受験は、3月3日、4日、5日の3日間である。 ところが、3月1日の朝、起きてみると体全体が熱くだるかった。明らかに風邪(インフルエンザ)である。熱を測ってみると、39.5度あった。「しまった」と思った。あと試験まで…

高校28 二期校の願書提出と卒業式

国立大学二期校の願書の受付けは、2月11日から2月20日までだったと記憶する。私は、郵送で滋賀大学経済学部に願書を出し、受験中の宿も2泊予約した。でも、全く受験する気にならなかった。そして、このころになって、机の奥から京大経済学部の願書も…

高校27 願書提出

京大法学部には、嗣郎と土居と私が受験することになり、池谷は、京大教育学部を受験することになった。クラスの男子では、この4名、女子では橋長さんが文学部を受験すると聞いた。 京大法学部の願書は直ぐに取り寄せた。それでも依然として経済学部の願書は…

高校26 田中先輩のアドバイス

京大経済学部の願書も取り寄せ、大学の試験まで2カ月を切った。 昭和40年1月15日の成人の日だったと思う。今日は成人の日なので、丁度49年前の成人の日のことである。私は、高槻二中、茨木高校の2学年上の先輩の田中稔先輩と連絡を取り、ご自宅を訪…

高校25 勉強グループと変人

高校3年の11月以降になって、クラスで京大を受験する4名(嗣郎、池谷、土居、私)で一緒に勉強する機会が増えた。クラスの片隅で机を並べて問題集を解いたり、暗記科目を暗記したりした。また、持ち回りでそれぞれの家に行き、一緒に勉強した。 明確な記憶…

高校24 特別奨学資金の試験と受験勉強の追込み

我が家では、大学に行くためには、特別奨学資金の給付は不可欠であった。特別奨学資金は、自宅から通学することを条件として、1か月5000円が貸与される。普通奨学資金は、確か1か月2000円の貸与だったと思うが、それでは、大学への通学は経済的に…