銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

2015-01-01から1年間の記事一覧

パチンコその3 必勝法その2

上記以外に、初めての店に行くときは、次のようにしている。 1 店の入り口から4台以内の台で打つ 道路から見て、客は、良く出る店かどうかを判断する。そうすると、店側も出る台を入り口から近い方に並べるはずである。 2 最初の日は、勝とうと思わない。…

パチンコその2 パチンコ必勝法

パチンコ屋に通ううちに、自分なりにパチンコで負けない法則をいくつか思いついた。 前提として、当時のパチンコは、半自動であったことである。 全手動の場合は、左手で球を1つずつ入れ、右手で弾くやり方であり、慣れてくると、左手で流れるように球を入…

パチンコその1

パチンコは、学生時代から時々やっていたが、本格的にやり出したのは、前期修習が終わった検察修習からである。 このころは、本格的にタバコを吸っていたので、タバコがほしいときは、パチンコ屋に行き、ある程度タマが貯まったらタバコに換え、残りのタマで…

競馬

競馬を始めたのは大学4年生の有馬記念からだった。 そのころは、「有馬記念は、好きな馬の飼い葉代にしてやればいいんだ。お祭りなんだから」という、11PMの大橋巨泉の話を聞いて、「これだ」と思って、好きだと思う馬を買った。 そして、競馬の重賞レ…

タバコ

大学に入ってから、周りの友人は、8割方タバコを吸っていた。これまで、タバコを吸うことは、いけないことと教えられてきただけに、正直言って不思議な光景だった。 クラスの近藤の下宿に行ったとき、「ハイライトが値上がりするから、そろそろ止めようかな…

アウトローへの理解

司法研修所に入るまでの22年間、私は、両親にとって「いい子」だったと思う。私にとって、麻雀で遊ぶようになったことは、両親への反発だったように思う。それから、競馬、パチンコ、タバコ、酒、女性と、どんどん両親に反発する「悪い子」になっていくよ…

麻雀 その2

司法研修所は、7組に配属された。クラスは、遊び人がリードする本当に明るいクラスだった。 麻雀では、関大出身の村地さん、東大出身の鈴木さん、明治大学出身の谷さんが抜群に強く、何故か、私は、この最強麻雀仲間に入ってしまった。麻雀は、週のうち4〜…

麻雀 その1

司法研修所の寮は、4畳半の畳部屋に板の間と土間1畳半が付いている6畳の部屋だった。 私は、部屋を見たとき、この4畳半の半畳を外したら麻雀台になるのではないかと閃いた。 段ボール箱を3〜4個並べ、その上に半畳の畳を乗せたら、十分麻雀はできる。…

司法研修所への通学(通勤?)

司法研修所は、四谷駅と赤坂見附駅の間にあり、紀尾井町の文藝春秋社の隣にあった。木造の古い建物で、田舎の小学校のような建物であった。すぐ下は清水谷公園であり、休み時間などに良く遊びに行った。清水谷公園からは、ホテルニューオータニの建物がすぐ…

寮と酒

馬橋の司法研修所寮に入所した人数は、300名くらい。長い試験勉強から解放され、全員が生き生きとしていた。 首都圏の司法修習生は自宅から通うので、寮では、関西勢が多数派であり、当然、関西弁が標準語のようになっていた。また、関西勢の中でも、関西…

大学卒業と司法研修所入所

学生運動のため、京大での卒業式は無かった。3月25日以降、卒業証書をくれるという話だったので、3月25日に卒業証書をもらいに行った。 法学部事務局で、学生証及び受領書と引換えに卒業証書をもらった。 同級生の誰にも会わなかった。卒業証書が入っ…

屋久島旅行の終わり

次の日は、いよいよ屋久島とはお別れである。昼頃のフェリーに乗って鹿児島を目指す。 その船の中で、高校を卒業したばかりの可愛い女の子S子に会った。船の3等室で私と池谷がふざけ合っていたところに、S子が加わって話をした。S子は、看護婦の資格を取…

屋久島旅行 その3

バスに乗って、安房に向かった。途中平内海中温泉があるというので、池谷と相談して降りることにした。 管理人さんの老夫婦が迎えてくれ、干潮のときまで待つことにし、焼酎と漬物を出してくれた。海中温泉は、普段海に浸かっているが、干潮になると、俄か風…

屋久島旅行 その2

宮之浦港に着いたのは、午後2時ころだったと思う。とりあえず、行けるだけ行って、その場所で泊まろうという無謀な旅行だった。 バスは、粟生行きだったと思う。どんどん乗客が減っていったが、そのとき乗客の50歳くらいの男の人から、「あんたたち、どこ…

屋久島旅行 その1

大学の期末試験(卒業試験)は、学生運動で大学が占拠されたこともあって、急遽論文提出で試験に代えるということになった。 私は、どうしても大学を卒業して司法研修所に入学したかったので、かなり多めに単位を取得することとした。 通常、82単位(1科…

70年安保闘争と学生運動

昭和43年12月〜3月は、大学が異常に荒れたころだった。革マル派、中核派、社青同解放派、社学同(ブント)など、5流13派の学生運動が吹き荒れていた。 1つは、1960年に締結された日米安全保障条約が1970年(昭和45年)に期限が切れること…

身体検査での上京 その2

11月の中旬、身体検査で上京した折、西村重雄先輩から教えられたとおり、野崎幸雄判事のところに電話した。多分日曜日だったと思う。野崎判事は、司法研修所の民事裁判教官をしていらっしゃるとのことで、司法研修所の話も聞けることを期待した。 電話口に…

身体検査での上京 その1

4回生11月のことだった。母の退院の次の日に、法律相談部を覗いたとき、3年先輩の西村重雄さん(京大労働法助手・後の九州大学法学部教授)がやってきて、「田中さん。司法試験合格したんだってね。今度東京に行ったら、野崎幸雄裁判官のところを是非訪ね…

母の病気

司法試験に合格して帰郷した日の翌日の昭和43年10月4日、母が「お腹が痛い」と言って七転八倒の苦しみを訴えた。顔を見れば真っ黄色である。母は、私が大学1年生の3学期のときに胆嚢結石で入院しているが、そのときの症状にそっくりであった。しかし…

大学54 このメモの休止と新しいメモの開始

とにかく、司法試験に合格することができた。21歳8か月目のことだった。本当に、私は、運が良かったと思う。 中務ゼミからは、9人中、私と原田の2人が現役合格した。畑は、論文式試験には合格していたが、残念ながら口述試験で落ちてしまった(次の年に…

大学53 口述試験合格

口述試験発表は、10月1日か2日と記憶している。 合格発表には、土居が一緒に付いてきてくれた。そういえば、京大の合格発表のときも土居と一緒に見に行った。 法務省庁舎の薄暗い中庭に白い紙が張り出されていた。受験番号を発見し、「あった!」と小さ…

大学52 口述試験

いよいよ、口述試験のために東京に向かうことになった。東京は、中学校の修学旅行以来である。 母が、京都駅まで送ってくれ、生まれて初めての新幹線に乗ることになった。 京都駅で、母と2人で「試験に勝つように」という意味で、縁起を担いで、カツ丼を食…

大学51 口述試験の勉強

口述試験の勉強は、順調だった。その後、土居から連絡があり、「知り合いの人に頼んで、四谷の長崎寮というところで8泊頼んどいたよ」との連絡が入った。関西人である私は、四谷というと、あのお岩さんの四谷怪談しか思い浮かばないので、何となく嫌だった…

大学50 論文式試験合格

9月1日朝、先輩の横山匡輝さんから電報が届いた。文面は、「ロンブンシキシケン ゴウカクオメデトウゴザイマス。」であった。横山さんは、法律相談部の2年先輩で、やはり司法試験に現役合格された方だった。 ほとんど合格を期待していなかっただけに、本…

大学49 能登1人旅

論文式試験が終わったころから、1人旅をしたいと思う気持ちが募っていた。いろいろと考えた末に、石川県の能登にしようと考えた。理由はそれほどない。 しかし、お金がないので、できるだけ節約しようと思い、ユースホステルのあるところで泊り、大半をバス…

大学48 榎本の来訪

7月の末ころ、クラスの同級生の榎本から電話があり、「遊びに行ってもいいか」というので、「ええよ」と答えた。 榎本も短答式試験を合格していたので、一緒に論文式試験を受けていたことになる。しかし、榎本には失礼だが、彼が司法試験を目指していること…

大学47 論文式試験その5

論文式の4日目は、国際私法であった。 過去問では探しきれなかったが、1問は「相殺の準拠法」であったことは、はっきり覚えている。 相殺には、能働債権と受働債権があるが、そのいずれの準拠法によるべきかという問題で、国際私法では難しい問題ではある…

大学46 論文式試験その4

3日目の民事訴訟法は、第1問が「法定代理人と訴訟代理人の差異について説明せよ」というものだった。易しい問題だったので、ほぼ完璧に近い答案を書くことができたと思う。 第2問は、「請求の予備的併合につき、具体例をあげて説明せよ」というものである…

大学45 論文式試験その3

商法の論文式試験は、2日目の午後だった。 商法は、会社法から1題、手形・小切手法から1題というのが通例であった。 商法第1問は、「株式会社につき、合併、営業譲渡及び営業用財産の譲渡の第三者に関する法的規制の主要な相違点を述べよ」というものだ…

大学44 論文式試験その2

私は、司法試験の昭和43年度の論文式試験問題を、7〜8割方覚えている。 しかし、このブログに書く以上、正確な問題を知りたいと思い、本日、インターネットで過去問を調べてみたところ、昭和43年度の過去問を探し出すことができた。これによると、憲法…