銀座ファースト法律事務所所長のつぶやき

弁護士田中清のブログ。最近気になることや、趣味のことなど雑記。

尼崎その10 裁判官と調査官の役割

少年審判に携わるのは、裁判官、裁判所調査官、裁判所書記官の3種類の職があります。このうち、裁判所書記官は、調書を作ったり、記録を作成管理する仕事ですので、直接少年に係るのは、裁判官と裁判所調査官です。裁判所調査官は、罪を犯した少年と面接し…

尼崎その9 少年院送致

少年審判で、一番重い処分は、少年院送致です。 その少年院送致でも、13歳以下は、教護院送致、16歳以下は、初等少年院、16歳から20歳までは、中等少年院に各送致するのが通常の例でした。 さらに、初等少年院や中等少年院に送致しても、少年が改善…

尼崎その8   少年審判

すべての犯罪を犯した少年については、最初に家庭裁判所に送付されます。 その中で、殺人、放火、強盗殺人などを犯した少年で、少年審判では処断しないことが相当であると思われる少年については、検察官送致(逆走)をします。 逆走した少年でも、犯行時1…

番外 淵の河の岩

今年(平成29年)7月、福岡県朝倉市、大分県日田市に梅雨末期の集中豪雨の被害がありました。 あの情景をみながら、私の家の前の川が今にも溢れそうになったことを思い出しました。 私の家の目の前には、横幅約20mの川(芥川)があり、その川が氾濫しそうに…

尼崎その7 保護司会総会

毎年1月には、保護司会の新年会がありました。 書記官の話によると、毎年ここでは尼崎支部長と少年係の裁判官が出席し、挨拶をしなければならないということでしたが、どの程度の人が来て、どのような挨拶をしたらよいのか、さっぱり分かりませんでした。 …

尼崎その6 出張交通審判

尼崎支部の管轄地域は、尼崎(当時約50万人)、西宮(当時約45万人)、芦屋(当時約8万人)でした。このように、尼崎管内に約100万人の人が居住しており、管内において犯罪を犯した少年は、私が1人で処分を決めることになっていました。 交通事件も…

尼崎その5 雪見酒

神戸家裁尼崎支部は、2人の裁判官で事件を処理していました。 家事事件は、私より7期先輩の庵前重和裁判官が担当され、そして、少年事件は、私の担当です。 家裁には、このほかに、裁判所調査官、裁判所書記官、事務官などが居ます。 いつも、40坪くらい…

尼崎その4 少年事件3

集団審判で、冒頭に、少年鑑別所送致の少年がいないと、やや、少年たちの緊張感が薄れます。スピード違反を犯した少年に、「スピード違反はなぜしてはいけないのか」と聞きますと、「なぜ悪いんですか、僕は悪くないと思います。僕は、運転がうまいし、誰に…

尼崎その3 少年事件2

尼崎の少年事件の2000件のうちには交通事件が半数占めていました。 なお、少年事件は、判事補が単独で裁判できます(少年法4条)ので、当時27歳の私一人で尼崎支部の少年事件を全部処理していたのです。何しろ、若いので、また、金沢の裁判所書記官の…

尼崎その2 少年事件1

私が神戸家裁尼崎支部に赴任したのは、昭和49年4月上旬でした。 同期の山田裁判官から、「あなたは、少年事件だよ」と聞かされていたので、金沢地裁時代に少年法の本を読んでいました。 少年事件は、刑事事件を犯した少年の処遇を決める仕事です。 少年は…

尼崎その1 引っ越し

任地は、神戸家裁尼崎支部兼神戸地裁尼崎支部となりましたが、裁判所宿舎は大阪府池田市五月丘と決まりました。 9割は、大阪地裁の裁判官で、あと1割が大阪高裁・大阪家裁の裁判官で、尼崎勤務は私1人でした。 私の家族は、夫婦と就学前の子供2人で、宿…

金沢37  金沢のまとめ

金沢は、私にとって、第2の故郷というべきすばらしいところでした。 風光明媚であり、自然がいっぱい残っています。食べ物も、採れたての野菜や魚など、本当においしいと思いました。海もあれば、山もあり、そして、片町や香林坊のように都会の雰囲気も楽し…

金沢36 金沢との別れ

金沢地裁もあっという間に3年が過ぎ、次は「神戸家庭裁判所尼崎支部判事補兼神戸地方庭裁判所尼崎支部判事補」という内示を受けました。 神戸家庭裁判所が前に来ているのは、家裁が本務庁という意味ですが、要するに家裁から給料をもらうという意味です。 …

金沢35 長男の誕生と長女との一時の別れ

昭和48年5月に長男が誕生しました。 長女の誕生から1年5か月後ですので、学年は2つ離れていますが、実質的には年子になります。 妻には大変な苦労を掛けたと思います。2人とも予想をしていない誕生でしたが、今から思えば授かった素晴らしい生命だと…

金沢34 暖冬

金沢の最初の冬は、暖冬でした。 職員の方から「金沢の冬は、毎日が雪か雨だから、覚悟しておいてください。」と何度も言われました。しかし、最初の年は記録的な暖冬で、余り雪も降りませんでした。 長女のおむつは、貸しおむつにしていたので、洗濯と乾燥…

金沢33 結婚そして長女の誕生

私は、昭和45年11月、司法修習生の後期修習のときに結婚しました。 2人とも若かったので、「しばらく子供は欲しくないね。2人だけの時間を楽しく過ごそうね」と話し合いました。 そして、次の年の昭和46年4月、金沢への赴任の支度をしている最中、…

金沢32 商号使用禁止の仮処分事件

もう一つ、仮処分事件で記憶に残っている事件があります。金沢のある料理店の商号「犀川熊の茶屋」が、債権者が使用する「熊の茶屋」の類似商号の使用に当たり、許されないと主張し、商号の使用禁止と200万円の損害賠償を求めました。 実際の事案を記載す…

金沢31 日照権仮処分事件

金沢地方裁判所における任官5年以下の若い裁判官の仕事は、民事合議事件の検討と、判決起案であり、もう1つは仮処分事件の処理でした。 民事合議事件は、①簡易裁判所からの控訴事件と、②一般事件のうち難しい事件で、行政事件、労働事件、金額の大きい事件…

金沢30 泉裁判官のこと

昭和48年4月に、泉徳治裁判官が金沢地裁に赴任されました。その年の2月に、転勤をされる予定の林輝裁判官から、「泉裁判官というのは、京大卒ですが、とても優秀な方ですよ」とお聞きしました。林輝裁判官も京大卒で、話しているうちに、下宿していた南…

金沢29 常陸宮殿下の表彰

金沢で、調停協会の総会があり、金沢地方裁判所所長と金沢家庭裁判所所長が招待されることになりました。 職員の葬儀のときと同じように、金沢地方裁判所所長の都合が悪く、加藤裁判長のところに「所長の代理で出てほしい」との要請がありました。その日は、…

8月の終わりに

今日の朝は、台風一過の気持ちが良い快晴でした。 百日紅の向こうに広がる青空を見ると、小学生のころの夏休みの最終日を思い出します。 夏休みの最終日にはこのような日差しの中で宿題の絵を書きました。絵を描きあげると、上手・下手はともかくとして、開…

金沢28 フェーン現象

金沢2年目の7月終わりのころだったと思います。 ニュースで、「明日はフェーン現象で、暑くなるでしょう。強い風に注意してください。」旨の注意がありました。 私の、中学校の理科の知識では、フェーン現象とは、「夏の日本海側でよく発生する現象で、非…

金沢27 職員の父親の葬儀

金沢に赴任して次の年のことでした。 総務関係のA事務局長が民事部の部屋に来て、「民事部のB書記官の父親が2日前に亡くなられ、明日葬式だということです。本来所長が行ってほしいのですが、所長は所用で行くことはできません。民事部の中で、どなたか行…

金沢26 変人からの脱皮

以前このブログで、高校時代、「清っさんは、ほんまに変わってるなあ」と何度も言われたことを書きました。 田んぼも山もそれほど多く持っていない専業農家で、4人の子供を育てることは大変だったのだろうと思います。両親のことを思い出すと、夏の間は、い…

金沢25 カシオ・ミニ

昭和47年7月ころ、「答え一発!カシオミニ」というCMソングが流行りました。どの番組を見ても必ず、目にし、耳にしたものです。 これまでの日本人は、そろばんか手計算でした。そのころも電卓はありましたが、10万円以上もするもので、しかも手の平に…

金沢24 新しい刑事部

昭和47年4月から裁判長も加藤裁判長から河合裁判長に変わり、右陪席も上野判事から小島寿美江判事に変わりました。小島寿美江判事は女性で、美人判事ということで有名な方でした。 「失礼ですが、旧姓は何とおっしゃるのですか」と聞きますと、 「白石で…

金沢23 白山登山その3

明日のご来光を楽しみにしながら、室堂で宿泊しました。男性も女性も雑魚寝です。 加藤裁判長がおっしゃいます。 「室堂まで来た人は、全員泊めなければならないんですよ。泊めなかったら生命に関わりますから」 「そうなんですか」 「明日は、午前3時半起…

金沢22 白山登山その2

2時間ほど歩くと視界が開け、はるかに遠く白山の峰が遠くに見えます。 「えっ、あんなに遠くまで歩くんですか」 私は、思わず心の中で叫びました。 加藤裁判長は、高山植物に詳しい方で「これがキンポウゲ」「これがハクサンフウロ」「これがクロユリ」「こ…

金沢21 白山登山その1

昭和47年6月ころ、書記官のEさんから「白山に登りませんか」と誘われました。民事部に異動された加藤裁判長が、「Eさんが言うなら、田中さんも行きましょうよ」と誘われました。時季は、山の天気が最も安定する7月末の土日、メンバーは、私、加藤裁判…

金沢20 人事異動

昭和47年3月、加藤裁判長が民事部の裁判長に、上野裁判官が高裁民集部右陪席判事にご栄転となりました。 加藤裁判長と上野裁判官そして何人かの裁判所書記官が転勤となり、刑事部で送別会が開かれました。そして、3人しかいない裁判官のうち2人が転勤と…